なんでこんなことを書くかっていうと、そう、ご想像の通りさ。例の本を読ん
で、そんなことを考えてみたりしてるってわけだ。
J・ケルアックの「オン・ザ・ロード」は凄かったよ。もちろん、感覚そのも
のなんて描かれてないけど、ロードに立った時の感じがよくわかるように書いて
あるんだ。主人公のサル・パラダイスはビートニクの青年で、小説を書こうと思
ってるんだ。ビートニクスっていうのは、いい呼び名だよな。おれにも、何かし
ら、そんな呼び名があればいいのにって、ちょっと思ったりしたよ。
彼は、ニューヨークからはじまって、アメリカ合衆国を放浪して回るのさ。し
かも、ヒッチハイクでね。シカゴやデンヴァーや、それにサンフランシスコにま
で出かけるんだぜ。長距離バスの中でメキシカンの女の子と知り合って、しばら
くいっしょに旅したり、彼女の故郷の村で綿花摘みの仕事をして働いたり、そし
て、結局別れたりね。あの広い大陸の上で別れるってことは、もうほんとに別れ
るってことなんだよ。日本みたいに狭くないんだからさ。一度別れたら、もう一
度再開する確率なんて、東京のどこかに落としたコンタクト・レンズを探し出す
ぐらいのものだ。
そして、気がつくと、彼はいつだってまたロードの上に立ってるんだ。そんな
時の感じって、わかるような気がするよ。コットン・フィールドの向こうの乾い
た空とか、熱を持った路面とか、帰ってきたニューヨーク・シティに渦巻いてい
るジャズのビートとか‥‥・・。わかる気がしないか?
おれは、もちろんジャズなんて嫌いだ。嫌いというよりは、退屈で眠くなっち
ゃうんだよ。だけど、そういう問題ではなくて、彼がほんとにジャズにのめりこ
んでるんだなってことがよくわかるんだ。おれは、それでいいと思う。誰が、何
を信じてるのか。大切なのは、そういうことだろう? ブーミンが、ロックとオー
トバイが好きなら「オン・ザ・ロード」はわかるはずだって言ったのは、きっと
そういう意味なんだ。
J・ケルアックが今生きてたら、きっとサイケデリック・ファーズに首ったけ
になるにちがいないさ。このおれみたいにね。
で、おれは思った。もしもこれを小説というんなら、おれにも小説ってものが
書けそうだってね。夏目漱石や森鴎外は、とりあえずおれには関係ないとして
も、こういうのならおれにぴったりだと思ったんだ。
おれは、決心した。小説を一本書こうってね。それを、ブーミンにプレゼント
するんだ。少しは、彼女もおれのことを見直してくれるかもしれないじゃない
か。
いやあ、それからというもの、たいへんだ。街を歩いている女の子を見ても、
あれ、あの娘のファッションいかしてるな、小説に使えないかな、なんて考
えちゃうんだよ。トラックのコンヴォイや、ハンバーガー・ショップや、オート
バイや、陽炎や風や流されていく雲なんか見ても、あれは使えるんじゃないかと
思って‥‥・・。
いや、正直な話、もうへとへとだよ。なにしろ、ただ街をぶらぶら歩いてるだ
けで、いろんなことを考えちゃうんだから。
だけど、このシーンが小説ってものになるのかもしれない、って考えるのはス
リリングなことだ。だって、本来ならおれの目の前を通り過ぎてそのまま消えて
しまうはずのものが、もしかしたら、小説の中で永遠に生きつづけるかもしれな
いんだからね。おれは後世にのこる傑作をものにしてやろうとか、そんな大胆な
ことをもくろんでいるわけじゃない。ただ、紙が消えてなくならない限り小説っ
てのはのこってるわけだろう。おれが書いたシーンがそっくりのこってて、たとえ
ばそれをブーミンが読んでくれる。奇跡みたいなもんじゃないか!
だけど、繰り返しになっちゃうけど、おれはへとへとになってしまった。
だから、いろんなことを全部書くのはよそうって決めたんだ。おれが書く小説
には、主人公が、まあ誰だっていいさ、おれみたいな普通のティーン・エイジャ
ーの男さ。名前なんてまだ決めてないよ。そんなことどうだっていいじゃない
か。要するに、ア・ボーイさ。ボーイが主人公なんだよ。そのボーイがオートバ
イに乗ってるところだけを書くんだ。他のことは、何も書かない。
だって、ボーイはオートバイに乗ってる時がいちばん輝いてるんだぜ。彼が輝
いてるところを書けば、それで充分だ。他のことはどうだっていい。
オートバイに乗るのは上手だけど、ほんとは数字が苦手だとか、セックスだっ
て覚えたてで、そのことにコンプレックスを持ってるとか、彼のお袋さんはもう
十年も前に子供だった彼を捨てて、そのことが彼の女性観を決めたとか、はっき
り言ってそういうのは下らないよ。
いや、下らなくはないかもしれないな。もちろん、世の中にはいろんなタイプ
の人間がいるわけだし、だからいろんな小説があっていいはずだからね。でも、
おれはそういうことがゴチャゴチャ書いてある小説は読みたくないんだ。そうい
うのって、主人公に、おれが書く小説ならボーイに、ほんとに失礼だと思うん
だ。そんなことはボーイがこっそり自分の心にしまっておけばいいことで、おれ
達には関係のないことだ。
たとえば、アンクルにだって、もしかしたらいろいろあるのかもしれないぜ。
でも、そんなこと彼が言わない以上、おれだって何も聞きやしない。おまえは、
足のことでほんとはコンプレックス感じたりすることがあるだろう、なんて馬鹿
なことは聞かないよ。そんなの当たり前じゃないか。小説だって、同じことさ。
おれなら、ボーイがマスターベーションしてるシーンなんて絶対に書かない
よ。
こんなことくどくど書いてもしょうがないね。やめよう。
とにかく、小説を書こうと、しかもボーイがオートバイに乗ってるところだけ
の小説を書こうと決心したおれは、オートバイを乗り回した。十日間でどれくら
い走ったと思う? 一五○○kmだぜ! しかも学校へ通いながら一五○○kmだからね。ちょっとしたものだろう。
で、その日は日曜日で、おれはブーミンとオートバイ・デートする約束をして
たんだ。
ゆるやかにカーヴしている舗装道路の外側を、サードで走り抜ける。路肩にパ
ーキングしているクルマがけっこう多くて、そいつをよけながら走るのにはサー
ドがちょうどいいのさ。
ウィンカーを点滅させながらシフト・ダウンし、花屋の角を左に折れる。この
花屋の前はいつでも水が打ってあるんだ。
すぐに、今度は車体を右にバンクさせ、信号のない交差点を右折した。ブレー
キングとスロットルを開くタイミングを合わせるのがたいへんなのだが、うまく
いった。だけど、油断は禁物だ。路上に砂利が浮いていることだってあるし、子
供が飛び出すことだってあるからね。リアが滑ったりロックしたりしたら、それ
でアウトなんだから。
マクドナルドの前にオートバイを停める。くっきりと濃いおれとバイクの影
が、路上に落ちたまま静止した。エンジンを停止し、サイド・スタンドを蹴り出
すと、おれはシートをまたいでアスファルトの上に立つ。
ヘルメットを取り、今までおれの一部分だったマシンを眺めてみる。すぐにオ
ートバイを離れる気にはどうしてもなれないんだよ。
その時、マクドナルドから、ジーンズとTシャツのブーミンが出てきた。彼女
は尻を振りながら、小走りにおれに近づく。おれは、右手をあげる。
「やあ、待った?」
とても自然に、おれの口元に笑みがこぼれてくる。そんなことは、彼女の顔を
見る時だけだった。
「あなたが走ってくるの、見えたわよ。あなただって、すぐにわかったわ」
ブーミンのほうも、微笑んでいる。
おれは、一分でも長く彼女の隣にいたいと思う。もしも彼女に恋人がいたとし
たって、それは仕方がないことだ。ほんとは彼女のすべてが欲しい。彼女を縛り
つけておきたい。でも、そんなの不可能だし、不幸なことだ。よくわかってい
る。だからせめて、おれは、いつだって彼女の隣にいたいんだ。
ブーミン、おれは、いつだって君の隣にいたい。to be right next to you.
それが、ほんとの気持ちなんだ。おれが言ってること、わかるかな? ただ君の隣
にいるために、おれは走る。そうやって時間が過ぎていくのは、少しも怖いとは
思わないんだ。
おれは、ホルダーにかけてあった彼女のためのヘルメットをはずした。
「はい。約束のプレゼント。agvだぜ」
●ここにAGV、そしてNAVAのヘルメットが隠れている。
●AGVのヘルメットがみたかったら、上手にストップさせて写真を完成させよう!